“ドリフのズンドコ節” コミックバンド誕生

3/10の日記に書いた「R65〜いつまでも色あせない青春のメロディー」の第11回の内容と感想です。


まずは「ドリフのズンドコ節」で始まります。
ゲストは加藤茶のほかに60年代〜70年代に多くの作品を手がけた元東芝EMIのディレクター草野浩二です。
当時の貴重な話をしてくれまして、中でも興味深かったのは何故ドリフターズはカバー曲が多かったという理由でした。
最初のレコードが「ズッコケちゃん」と「いい湯だな」のカップリングで、既存の俗謡とデューク・エイセスのカバー曲でした。これが当たった事と、オリジナルを作っても、先輩格の同じ事務所で同じレコード会社のクレイジー・キャッツが有名な作詞者・作曲者によるオリジナル曲でヒットしているので、これを超えられる物は作れないと判断して、ドリフはこうなったら誰もが耳に馴染みのある曲の歌詞をドリフ風に変えれば良いのではないかと、全部カバー曲になったそうです。
また加藤茶によると、売れてからのドリフは忙しくて新曲のレコーディングは余計な仕事だったらしく、覚える気も無く、長さんは知ってる曲を持ってきて詩を変えるというのが多かったらしいです。
ドリフの歌に軍歌のカバーが多かったのが頷けます。
以前にドリフのレコーディングは一発撮りが多かったというのを聞いたことがあるのですが、これもこういう事情があったのかと納得しました。
加藤茶がボーカル向きだったのかという話になり、草野浩二は加藤茶が目立つ位置に居て歌が上手かったと言ってました。
加藤茶本人は一番上手いのは高木ブーだと言ってましたが、ただ真面目に歌ってはドリフとしては面白くないので、鈍りを入れたりとアレンジした結果だそうです。
でもキャラクター的に加藤茶をメインに据えたのは戦略的に成功だったと思います。
以前に何度も書いていますが、当時の加藤茶の声はα波が出ているかと思われるほど癒し系で、子供からお年寄りを魅了する愛らしさがありました。
「誰かさんと誰かさん」を司会の泉麻人アメリカ民謡と紹介したのはご愛嬌。後からスコットランド民謡と訂正しましたが。
子供の頃、仲のいい男子と女子を冷やかすのによく歌った曲でもあります。
この曲は川口真のアレンジで、「いい湯だな」以外は全て彼の編曲だそうです。
それからドリフターズが、武道館でのビートルズ公演の前座を務めた経緯も知りました。
日本テレビの「あなた出番です」という番組でドリフが司会を務めていたのですが、ビートルズ公演が日テレ閨閥の読売新聞だったので、その繋がりで白羽の矢が立ったと言われているそうです。
音楽以外の話では、フジテレビの牙城だった土曜日の夜8時枠には元々クレイジー・キャッツの番組をとの要請だったのらしいのですが、当時売れっ子だった彼らのスケジュールの調整が難しく、ちょっと格下になるけれど面白いのが居るからとドリフターズの起用になったそうです。
結果論になりますが、「8時だョ!全員集合」の高視聴率と、途中割り込ませて放送した(グループとしては終焉を迎えていた)クレージーによる「8時だョ!出発進行」の今一つだった人気度から、ドリフ起用は正しかったのかと思います。
ドリフターズがドリフがテレビで有名になる前から、加藤茶だけは植木等の映画に出演していて、他のメンバーより先に顔が売れていたそうです。
後はよく他でも話しているドラマーを目指したきっかけや、小野ヤスシらのドンキーカルテット結成による離脱問題の話題でした。
メインのトークは終わって「コラムで行こう!」というコーナーでは、泉麻人加藤茶のハゲヅラ親父に扮して、ドリフターズが売れ始めた頃の新聞記事を紹介。
「洗ったら眉毛落ちる」という子供向けのお風呂用泡遊び石鹸での事故。
お風呂で泡を使って姉弟で遊んでた9歳の女児が、白かった泡が黄色になり、眉毛に付けてこすったら両眉毛が部分的に抜け落ちたという話です。
昔、コドモ用化粧品セットというのが、肌に悪いとか何とかで発売中止になった事があるのですが、それとは別の件でしょうか?
最後は泉麻人がバーでオリジナルカクテル「ズンドコ節」を飲んで閉め。
ちなみに分量は、
ウオッカ・・・適量
ヴァイオレットリキュール・・・適量
バッソア・・・適量
モンジュース・・・少々
シュガー・・・1T
見た目はくすんだピンク色。お味は甘いそうです。