長さんは長さんだった

親父の遺言

親父の遺言


長さんの長男のいかりや浩一氏が書いた「親父の遺言」を読み終えました。
この本を読むに当たって、正直な所、自分の中の長さん像が崩れるのを覚悟していました。
私にとっての長さんのイメージはドリフの恐いリーダー。他人に厳しいが自分にも厳しい。父性的な頼もしさ。頑固だが筋の通った考えの持ち主。
でもそれは、自分がテレビを通して勝手にイメージしている長さんであることは十分に分かっています。
長さんの子供である浩一氏が、父親の思い出を振り返れば、必ず愛人スキャンダルの事に触れるでしょう。
告別式の時、「自慢の父」と語っていても、それは過去を乗り越えた結果で、離婚にまで至った当時はかなり辛い思いをしたのではないか?と思っていました。
しかし、長さんはやっぱり長さんでした。
浩一氏の産みの母である長さんの最初の奥さんは、長さんと沼津のキャバレーで知り合い、一緒に上京して、長さんの無名時代を経済的にも支えていた人だったそうです。
ドリフターズが売れっ子になり、収入も安定するようになると、奥さんは今まで張り詰めていた心の糸が切れ、酒に溺れるようになり遂に精神まで病んでしまったそうです。
医者に、こうなったら子育てはもう無理、子供たちのために離婚した方がいい、と言われたものの、すぐに籍は抜かずに回復を望んで、奥さんを田舎の別荘で静養させることになりました。
これが、別居の理由です。
しかし、病状は回復せず、離婚を決意。再婚相手も決まっていましたが、法的手続きが進まない。
そんな中、「いかりや潰し」を狙った芸能界の人物が、マスコミに「いかりや長介に愛人が居る」とリークしたのです。
実を言うと、私は当時このスキャンダルがどう報道されたのか覚えていません。
まあ長さんも男だから、有名になって金が入れば愛人の一人くらい作るだろうと思っていました。
こういう場合、大抵は母親の方が子供を引き取るのに、不思議だとは思っていましたが、芸能人のスキャンダル自体に関心が無いので、深く知る気もありませんでした。
長さんは「芸の為なら女房も泣かす」タイプではなかった!
自分の再婚に関しても、長さんはまず父親として子供たちの気持ちを気遣っていました。
いきなり知らない女の人を連れてきて、「この人が新しいお母さんだ」なんて事はしませんでした。
知り合いの<お姉ちゃん>として引き合わせ、一緒に食事をしたり、旅行をしたりして徐々に慣れる時間を作っていました。
親の離婚再婚で子供がグレる事が多いですが、こうした長さんの配慮があったからこそ、子供たちは立派に育ったんだと思います。
ああ長さん、ごめんなさい!下衆な勘繰りをしていました。貴方は私がイメージしていた通りの人でした。いや、それ以上の立派な父親でした。
長さんも立派ですが、再婚相手の2番目の奥さんも素晴らしい人で、長さんとの間には子供はいませんでしたが、浩一氏姉弟を実の子の様に可愛がりました。
結局、この人も膠原病と言う難病にかかり、自ら命を絶ってしまいます。
長さんは女性運には恵まれてはいませんでしたが、女性を見る目はあったと思います。
浩一氏の子供の頃の思い出の長さんは、読めば読むほど私の中のイメージ通りの長さんで、嬉しかったです。
息子を芸能界に入れずに、一般企業のサラリーマンになる事を薦めたのも、いかにも長さんらしいと思いました。
仮に反対を押し切って芸能界入りしても、長さんは「いかりや長介の息子という立場は絶対利用するな」と釘を刺したでしょう。
そしてお忍びで志村けんの舞台を見に行き、楽屋へ寄らずそっと帰る長さんは、やはり仕事の面でも、遠くから息子を見守る父親のイメージでした。
亡くなる前の10日間の様子も書かれていました。体力も精神も衰えていく長さんの姿は読んでいて辛かったです。
そして孫にデレデレの長さんは、「恐いドリフのリーダー」の長さんが好きな私には、ちょっと寂しいものがありました。
帯にはドリフのメンバー4人のコメントがあります。
幼稚園の運動会に参加して走る長さんの姿など、プライベートの写真も掲載されていました。
父親としての長さんの姿を知りたい方は、是非読んでみてください。