ポストドリフターズ

小泉首相


電車の新潮45の吊広告に「クレージー・キャッツキャンディーズ 昭和芸能界の父『渡邊晋』伝 第II部」というが載っていたので、早速購入。
“第II部”と言う事は、第Ⅰ部もあったんですね。知らんかった。
タイトル通り、渡辺プロの社長、渡辺晋の一代記で、この間読んだ「ナベプロ帝国の興亡」となぞっている足跡は、ほぼ同じです。ただ、この記事を書いたのが野地秩嘉というノンフィクション作家のなのですが、渡辺プロが衰退した原因について、面白い分析をしていました。
渡辺プロだけが独自に成し得た、クレージーキャッツドリフターズの様な、音楽と笑いの出来るタレントを育てられなかったからだと言うのです。
グッチ裕三モト冬樹の居た、ビジーフォーも渡辺プロ所属だったそうですが、次世代ドリフターズにはなりませんでした。
テレビ史や芸能界史に関する書物を紐解けば、決まって出てくる「ナベプロVS日テレ」のきっかけも、ケンカ腰でも宣戦布告でもなく、元々個人的に親しかった渡辺社長が、日テレの井原高忠に「うちのタレントが欲しければ、放送日を変えればいい」と言ったのを、井原に上手く使われたのが真相のようだ、と書いていました。
政財界との積極的なコネクション作り(今話題の堤義明とも懇意にしていたらしい)に熱心だった事も書いてありました。
それで思ったんですが、渡辺プロダクショングループのイザワオフィスには小泉孝太郎が所属しています。これは考えると、スゴイ事ですよ。現役の総理大臣の息子を預かってる訳ですよ。場合によっては人質ですよ。今、彼は芸能人として、パッとしませんが、もし渡辺社長が生きていたら、徹底的に磨き上げて大スターにし、小泉首相に恩を売っていたのではないかと思うのです。