その後のナベプロ

昭和



昨日の続きです。

さて、「此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けるたる事も 無しと思へば」と渡辺晋社長が詠ったかは知りませんが、まあそれ程に渡辺プロは何でも思うがままにできるほどの権力を持つまでになったのでした。
しかし、貴族の荘園支配の政治から武士の時代に移って行った様に、時代はグループサウンズからフォークソングの時代に移っていったのでした。
ベトナム戦争を機に広まりつつあったフォークソングに関しては、常に時代の先を読んでいた渡辺社長も、将来日本の音楽界に影響を及ぼすとは思いもよらなかったのでした。
このフォークソング時代の到来の読みが外れた以降、渡辺プロは時代の先を読む感覚が鈍って行くのでした。そして、日テレとの対立、所属歌手や社員の独立や移籍、渡辺社長の病気と続き、ナベプロ帝国はガラガラと崩れていくのでした。
渡辺プロは戦後昭和史を作った存在ではありましたが、同時に時代に呑み込まれていったのでした。
ところで、この本を読んで、ドリフターズがどうしていつの間に渡辺プロダクションからイザワオフィスへ所属事務所が変わったのかが分かりました。
イザワオフィスの社長、井沢健はドリフが渡辺プロに入った当初からのマネージャーで、有能な人材が次々と会社を去って行くのを防ぐために暖簾分けしたからなのでした。
イザワオフィスが出来たのが、1979年。ドリフターズ絶頂期の頃ですから、渡辺プロにとって如何に英断だったか窺い知れます。
この本に書かれている事が100%信じられるとは思いません。実際に吉川晃司が渡辺プロの目に止まるきっかけになったのは、アマチュア時代の吉川を女性ファンが手紙で渡辺プロに知らせたから、という逸話をそのまま載せていました。(実際は吉川の自作自演)
しかし、他のテレビ史に関する書物にも渡辺プロの権力ぶりの記述があり、この本を読んで、具体的な内部事情が見えた感じです。
渡辺プロの全盛期はタイガース時代で、私はその時代は知りません。それでも、「有名な歌手が多くいる、大きなプロダクション」というイメージが子供の頃からありました。
この本の後書きの日付は「1991年暮れ」となっていて、「新生渡辺プロの躍進を祈りたい」と締めてあります。
私はマメに芸能界の動向をチェックしているような人間ではないので、「はて?現在の渡辺プロってどうなってるのだろう?」と思い、同プロのホームページを見に行きました。私が子供の頃から抱いていたイメージとは、大分様相が変わっていました。
特に渡辺プロに関心があった訳ではないのですが、ドリフターズと絡めて、感慨深いものを感じたのでした。